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ありがとうございます
こちらにありました
胸が高鳴っております
Re: ありがとうございます
ご訪問ありがとうございます。
本当のことが知りたい・・と、もとを辿ってゆくと
どうしても「ヲシテ」に行き着かざるをえないのですね。
ヲシテ探求~ヲシテ文献で探る古代やまと~
伝統行事はどうして旧暦で行なわれないのでしょうか?
その方が、季節にも合い、
天地と共にお奉りの実感もエネルギーも、戴けると思うのですが。
タハナタさまでは、新暦ですと梅雨も明けておらず、
たいていが雨降りになって、星なんか見えないんですよね・・・
伝統を本当に尊ぶのならば、我が国の天地もろともに体験し実感を得、
それを子々孫々に伝えていくのではなくては、
なんの意味もないとお思いになりませんか?
ということで、
今日は、ヲシテに記される
「タナハタ」の古やまとことばの、本当の意味と、
どんな行事だったかを
皆さまに知って頂きたいと思います。
ミカサフミ「ナメコトノアヤ」
これは1年中の御奉り(ナメコト)を書き記したものです。
「トシウチニナスコトノアヤ」
(池田満先生は、カクノフミの一部ではないかと考えておられるようです。)
ヲシテ文献では、
「タナハタ」あるいは「タクハタ」のホシマツリと
記されて、実はアフミツキのユミハリの日から15日までの、
祖先奉りでした。
もちろん紀元前からの日本古来のお奉りで、
大陸由来ではないのは言うまでもありません。
アフミは7月のことで、ホの季節とも呼ばれていました。
その「ホ」という字を見るならば、
2本のたて棒がオの母音、□の中に書かれています。
フメ・・・2本もメ(寒さを表す)が現れて、
隠れている2本のヲとバランスを取って調和し、
暦では秋となる季節なのです。
今までの強いヲ(暑さを表す)が和らげられたのです。
風もいままでの湿気をはらって吹いてきます。
これがノワキ(野分き・台風)となることも、しばしば・・・
フミヅキという言葉は、アメ(天)を表す、アフミのアをカットしたもの。
さらに後世では、フヅキというようになりました。
文月と漢字誤訳されてますが、
古代のヤマトコトバでの意味を判りやすく言うと、
「熱さが和らいで、涼しい風に変わっていく月」というのです。
タナハタの奉りは
アフミツキのユミハリの日から満月までということですので、
上弦の半月の日と確定されているのです。
ユミハリは弓張月を指し、ここでは上弦のお月さまの日、7日。
このタナハタは、
「タ」大自然の恵みを集め
「ナ」調和させて下にもたらす、
あるいはタクハタですと、
「ク」もたらされた恵みが動いて行く
そのような「ハタ」であるというのです。
異なったものが睦みあって一つになり、
それを集めて良いものとする。
これには政ごとや、お祭、教え、文、掲げる幡(旗)
アマカミの傍らにある……というような意味があります。
で、それを具体的に表す尊い布を織る機械も、機と呼び、
その技が機織りなのですね。
つまり機織りも政治の一つであり、
これは女性の仕事でありましたから、
大胆に言っちゃえば、
「政治への女性参加」
「政を支えているのは女性」で
あまり当たり前なので言わないんです。我が国では。
大体、稼いでくるのはご主人、
お財布を握っているのは奥さまって、
外国と違って当たり前ですからね。…… 笑)
政ごとというと、庶民は動かされるだけ…女性はパスみたいな、
イメージがあるのですが、
我が国では最初から、それが違うのです。
アメとツチを繋ぐ役目のアマカミ(古代の天皇)と、
トミ、タミも一体になって行うのが、
政ごとであり、お祭だったのですね。
ですからみなが「タナハタ」の奉りには、
我が国の長い長い時の流れや、
今、国体といわれる、
国の初めからのあり方に想いを馳せ、
そして祖先の大元にある、
大自然の法則…祖のはじまり…にも
感謝を捧げ、心を通わすのです。
その象徴が、輝く星でありました。
やはり見えるものを頼りに、
見えない世界に想い至るという方法は、
誰もが親しみやすく、素敵なやり方ですね。
「北極星」は、動くことの無い
「最初、初め」という象徴で、
宇宙の根源・アメミヲヤ、
地球で最初の人であるアメトコタチと、
我が国の初めの、クニトコタチにあたるわけです。
それを取り巻く8つの星が、クニサツチと呼ばれたその8人の皇子。
これを総称して、コホシ(9つの星)と尊ぶように教えられました。
ですから…夜空の星は、コホシを始めとして、
尊い仕事を成し遂げて、
宇宙の根源へ還っていかれた、
無数の方々を表すものと、
古代の人たちは見なしていたのです。
その星祭りにはなにをするかです。
7日に、まずやることは、
いうとあさを、糸に「うむ」のです。
「イウ」はいろいろな草木の皮の繊維のこと。
藤、葛、楮、梶、科などです。
あ、絹は別にありました。
けれども、草木、麻の方が
根源的なものと見なされたようですね。
草木の皮の繊維をほぐして繋げて、1本の長い糸にする。
それはそれは、根気のいる仕事です。
これをタナハタの日に行うことで、
長い祖先からの繋がりを、
今も「繋ぎ続ける」ということを、
カミコト・神事の中で、示したと思われます。
ヲトのヲは、目に見えないつながりを示す異体字(中の縦棒)が使われているので、
星を御奉りして、祖としての宇宙の大元を想うものであったのが良く分かります。
後世、七夕の奉りは、
女性の機織りの仕事を称えるということになって、
機織りが上手になるように……
あるいは裁縫が上手になるようになどと、
変わって行きました。
しかし、この糸績みに始まる機織りというものは、
「良き政りごとの象徴」であったのです!
また、機織りというのは、
古来から女性に託された神聖な仕事とされていました。
上はアマカミのお后さまから、タミの女性に至るまで、
せっせと機織り仕事にいそしんだのです。
ホツマツタヱ6アヤには、
アマテルカミ即位の時、定められた12の后(キサキ)制度ですが、
「ミナ ハタオリテ ミサホ タツ」と記されています。
ミ・・・アメミヲヤからのエネルギーをいっぱいに受け止め、
まとめて、日々下へ伝えていきます。実、身、自分の意味ともなります。
サ・・・ミのエネルギーが調和を以て明るく清らかで豊かであるさま。
ホ・・・上を受けて、そのエネルギーが新たな生命のようなものとして、
固定され現実化します。
ミサホを立てるというコトハの意味から、
機織り仕事の大事さが良く判るではありませんか。
つまり機織りは
アメノノリ(アメの法則)を目に見える形にするという、
尊いお仕事なのですね。
ですから、世の中の秩序も政治のことも、
機織りになぞらえて、教えられていたのです。
またミクサタカラ(三種神器)のトノヲシテのことですが、
ミハタノトメノオンフミ(御機の留の御文)とも記され、
ヒツギ(皇位継承)の印、タカラの一つとして、授けられた記載もあるのです。
このように、
アマカミが書かれたとりわけ大事な、勅や文は
「ミハタ」と記されることもしばしばでした。
また、ミハタは御幡にも通じています。
幡(ハタ)を立ててミサホ(アメのノリを示す)
ということなのでしょうね?
こういうことを知れば、
漢字翻訳の「操」なるものは、まったく違っていることが判るでしょう。
「操」とは、
多くの口で、騒ぎ立てて神に祈ることであり、
そのようにしてまで、一心に祈ることから、
肯定的な「意志を固く持って変えない」という意味へと転じたそうで・・・ふぅ。
縦横の糸を整え、よじれやゆがみのない、
滑らかで美しい布を織り出すこと。
心を込めて織り上がったその布は、
まことに目に見える平和な豊かな世の中を表し、
宇宙の法則を偲ぶシンボルでもあったことでしょう。
そして、機を織って布にするには、まず草木の繊維をほぐし糸にする作業
すなわち糸績みから始まります。
そのような始まりを示す儀式を行って
星を奉るのは、
世の始まり、人の始まりということを思い、
夜空の美しい星を見上げながら、
心をアメに通わせる大事な祖先奉りだったのでした。
さて、次は望の日に捧げる奉りごとです。
モチは満月であり、15日と決まっておりますね。
ね、これも旧暦でないと話にならないんですよね。
モチハ ミヲヤト イキタマニ
満月の15夜には、
ミヲヤ…アメノミヲヤから続く、
亡くなったご先祖と、
まだ生きておられるタマ、
直接の両親や祖父母などに、
ヱナノ ハスケをお供えします。
ハスケは、刻んだ蓮の若葉や実を混ぜて蒸した、
おこわご飯(はすいい)です。
古代では、さぞかしご馳走であったことでしょう。
これも七夕には蓮飯と、今も伝わっております。
故・松本善之助先生によれば、
「室町時代の中納言、山科教言の日記『教言卿記』(1405)の七月十五日条に、
〈蓮葉飯事、子孫賞翫珍重々々〉とあるし、
権大納言山科言継の日記『言継卿記』(1569)の七月十五日条にも、
〈蓮之飯亭主調之〉とある。
そればかりか、宮中でもこの証拠は拾える。内裏にある身分高い女官が
主上のご動静を子細に記録した『御湯殿上日記』(1496)の、これも七月十五日に
〈はすのく(供)御まいる〉とあるが、その他の日にも見えている」
松本善之助著 ホツマ・古代日本人の知恵 より
ヱナも、大事なものとされていました。
えな(胞衣)は、いわゆる後産というもので、
母と繋がっていて赤ちゃんを守っていた、
そういうものです。
そういう意味を込めて肉親との繋がりを表現しています。
メヲアエハ(わ)
これも意訳すると、メ・現世の肉親と、
ヲ・見えない先祖が会って、
食事を共にするアエ・晩餐なのですね。
アエが掛詞になっております。
そして、先祖と共に食事を頂いた後には、
星々と真ん丸なお月さまの夜空を見上げながら、
踊ることにより、奉りは終わりとなります。
なんと、(祖先を)仰ぎ、
踊ってアメのエネルギーを受ける・・・元気になる。
これは、まさしく今もいうところの「盆踊り」ではありませんか!
アヲキオトレハ イオウクル
何を仰ぐかというと、アメミヲヤの中心というか、
つまり宇宙の根源に想いを馳せるのです。
それからもちろん、そこにいらっしゃるご先祖樣方。
ヲという字は、特殊文字で書いてあり、
「仰ぐ」という動詞と、アメの「中心」という……
これも掛詞ですね。
で、踊るとどうなるかというと、
「ヰ」を受くる。
そのヰとは
宇宙の源からの、
ヰ…すなわち「循環の命のエネルギー」を受ける。
ですから、みんな活き活きと元気になるんですって。
なんのことはない、私たちのいう盆踊りは、
これが起源なのですね。
お盆も盆踊りも、仏教由来と思い込んでいましたが、
その本質はずっと昔、
縄文のころからの私達の伝統であったのです。
また、
「トシウチニナスコト(年中行事)ノアヤ」には、
タナハタの時には
カヂニ ヲシ・・・カヂの葉にヲシテとありました。
カヂの葉っぱにオシテでアワノ ホギウタ(言祝ぎウタ)を書き記し、
御供えしたらしいのです。
これが、七夕には願い事を短冊に書いて、
笹の葉に結びつけ飾ることにつながっていると思います。
そう……勝手なお願いではなく、
現代語で言えば、天地の恵み、
大自然の法を称える和歌を記したのです。
すごく、格調高いと思いません?
右の葉は梶の葉ではなく、
タラの葉を使っておりますが、
このように、ちょっとした伝言やウタは、
常緑広葉樹の葉っぱを使っていたと思われます。
京都の冷泉家では今日も、
七夕のお供えの1つとして、
カヂの葉を水盤に浮かべたり、
葉の上に和歌を書いてあちらこちらへ結びつけ、
捧げるのだそうです。
※ 冷泉(れいぜい)家の乞巧奠(きっこうてん)
最後に、支那ではどうであったかといいますと、
この我が国のタナハタ奉りより、
1500年もあとに成立した行事です。
七月七日を特別の日に考えるような最初の記述は、
後漢時代(200)に、その日には書物の虫干しをしたというのがあり、
さらに364年に、七月七日に、針仕事のことがあり
人々はこれを伝えたという、そんな記録があります。
そして南北朝の500年頃になると、
牽牛と織女のラブストーリーが出て来て、
その2人が会うことの出来る夜であると明記され、
行事としての、乞巧奠に取り入れられました。
夜に、女性たちは、7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、
捧げ物を庭に並べ、
針仕事の上達を、牽牛織女の星に祈ったと書かれているのです。
ここで初めて、織女・牽牛伝説が
七月七日の行事と関連づけられるようになったそうです。
この乞巧奠は、奈良時代に我が国に伝えられましたが、
どんどん日本風に変えられていったみたいです。
つまり梶の葉を捧げることや、
糸を捧げるのでも七色ではなく五色、
日本古来の哲学「アイウエオ」の五という数を、
知らずして大事にし、
天の川に見立てた白布を中に、
男女に分かれて和歌を詠み合うこと、
それに付属して、琵琶や和琴の上達を
星に願うことなどが付け加えられたようで、
支那とは違った形の、日本の伝統行事となり、
いまでも和歌の家の冷泉家がそれを伝えております。
ちなみに笹を飾るのは、江戸時代からなのです。
始めは笹に和歌を七種、吊るしたと言いますが
庶民もその頃になって、願い事などもつるして、
七夕祭りを楽しむようになりました。
七夕は「七月七日の夕べ」の意味で、
牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星が年に一度、
天の川を渡って会うという中国の伝説に由来する。
織女星はその名の通り、機(はた)織りの女性を象徴する星。
日本では「織姫」とか、機織機具の「棚機(たなばた)」の語から、
「棚機(たなばた)つ女(め)」とも呼ばれた。
「七夕」を「たなばた」と読むゆえんである。
・・・こんなことを信じ込まされていたんですよね、今まで。
でも、ヲシテを知るならば、
我が国がはるか祖先の昔から、
どんなに優れた心の伝統を持ち続けているかが、
良くわかるのです。
以上、びーちぇさまの解説を引用させていただきました。
びーちぇさまの詠まれたおウタです。
意味がわかるようにと仮名書きで記されていますが、
せっかくですからヲシテでご紹介させていただきますね。
いにしえの をと たなはたに ささぐるは
もとゆ をしゑの あわのほぎうた
ホツマ辞典より引用
びーちぇさまの「ヲシテのクニ」 はこちらからどうぞ。
タナハタの御奉り 改訂版
http://julian.way-nifty.com/woshite/2009/08/post-f3f3.html
びーちぇさまの解説はこちらからもお聞きいただけます。
Author:こと まとか
ヲシテ探求
「ヲシテ言語学」で探る日本語(やまとことは)の源(みなもと)
「ヲシテ文献」とは、
共通する文字「ヲシテ」で記された古伝書を総称し
ホツマツタヱ
ミカサフミ
フトマニ
の三書が発見されており、
日本書記・古事記と徹底的に比較した結果
記紀の原書であることが判明しましたが
いわゆる学会では認められていません。
が、しかし、「ヲシテ」に照らせば
日本語(やまとことは)の謎が解けて
しまうことが判ってきたのです。
これが記紀の原書でないと云うなら
いったい何だというのでしょう??
参照図書
よみがえる日本語
ことばのみなもと「ヲシテ」
監修 池田 満 著者 青木 純雄
平岡 憲人
よみがえる日本語Ⅱ
助詞のみなもと「ヲシテ」
監修 池田 満 著者 青木 純雄
著者 斯波 克幸
記紀原書ヲシテ
校訂 池田 満 展望社
定本・ホツマツタヱ
―日本書記・古事記との対比―
松本善之助 監修
池田 満 編者 展望社
池田 満
ホツマ辞典 展望社
松本善之助
秘められた日本古代史 ホツマツタヱ
ブログで使用しているヲシテフォント「縄文文字ヲシテ」は日本ヲシテ研究所が意匠権・商標権を所有しています。
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