神武天皇とニギハヤヒの関係
- 2015/02/11
- 08:39
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神武天皇と「ニギハヤヒ」の関係って、混乱していて、
全然っ、わかりませんよね?
これは、「記紀」が「原書」から重要な個所をヌケ落としているからです。
原書とは、「ヲシテ文献」のことでありまして、
「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「カクノフミ・フトマニ」
の三書を総称し、同じ文字「ヲシテ」で記され、
それぞれが相補う内容になっている古文書です。
本記事は、
「神武天皇」東征の真実に書ききれない詳細な部分となりますので。
先にこちらからご覧ください。
「神武天皇」東征の真実
当時は、
アスカヲキミのホノアカリさまからの朝廷と
ハラヲキミのニニキネさまからの朝廷と
二つの朝廷が並立する時代でありまして、
タケヒトキミ(神武天皇)は、15歳の時、
父ウガヤさまから御遺言を受けるために
ナカクニ(近江・琵琶湖周辺)のタガ(多賀)から
ミヤサキ(宮崎)に渡られまして、
そのまま、ミヤサキで御成長あそばされます。
アスカ朝のニギハヤヒの家臣ナガスネの専横による
世の乱れに決着をつけるための東征、ヤマト討ちだったのです。
アスカニテラス
ニギハヤヒ イトミカシヤオ
キサキトシ ウムミコノナモ
ウマシマチ ワガキミハコレ
ニギハヤヒ
「アマテルカミの孫、アスカホノアカリさまが
アマノイワフネに乗って、飛鳥に入り
その名跡を継いだニギハヤヒさまが、
我が妹、ミカシヤを妃にして、
産まれたのがウマシマチさまである。」
ナガスネヒコはこのようにタケヒトキミに申したのですが、
この箇所には疑問がありまして・・、
ミカシヤの名前はもっと前に出てきます。
アスカホノアカリさまが養子をとられるのですが、
でも、結局は実家に帰ってしまわれるところです。
ホツマツタヱ 27-15より
カクヤマガ アメミチヒメオ
ヱゝナシテ アニタグリガコ
タクラマロ ナオコトナセド
ハセヒメハ トミトニクミテ
ステサシム
キミマタイカリ
ハセオスツ
カグヤマヲキミ
ハゝトメシ
コハメセトコズ
フトタマノ マゴミカシヤオ
ツマトシテ ウマシマチウム
この場面の解説を
びーちぇさまの解説を引用させていただきます。
以下、引用。
兄ギミ「アスカノ ホノアカリ」さんは・・・
憚り多い話しながら、
失政もあったし、プライベートでも何かとゴタゴタが多く、
御子にも恵まれていらっしゃいませんでした。
心配した重臣のカクヤマが娘「アメミチヒメ」に、
その兄タクリの御子を養子に付け入内させたのですが、
他のキサキに、御子の身分が低い(実家が臣の身分)と蔑まれ憎まれて、
その独断でお二人を実家へ戻してしまったようです。
驚いたアマキミは、そのキサキとの縁をお切りになり、
再度二人を迎えられようとしますが、
母君は入内されたものの、ご養子はミヤへお還りになりませんでした。
これは、筋としては当然なのです。トミはキミにはなれないのですから。
ご実家ではそれに気がつかれ、有り難い仰せながら、
後のことも考えられて、畏れ多く固辞なされたのではないでしょうか。
それ故、崩御なされた後、弟ニニキネさんの孫のお1人、クニテルさんが
アマテルカミのお声がかりで、ご養子となり、
11代アマカミ「ニギハヤヒ」となられたのです。
ところが、この方も世継ぎがお生まれにならず、
そんなこんなの結果、朝廷の重臣であった「ナガスネヒコ」が、
公に対し良からぬことをしでかすにいたりました。
神聖な門外不出の「ヨツギフミ」の密かなる書き写し事件。
また、お上もご存知ないうちに、
ナガスネヒコの専横と独断の振る舞いが世の乱れを引き起こし、
それらを他から糺されると、武力によって勝手に海上封鎖などを行い、
などと・・・騒動は大きくなり、ついにいわゆる「神武天皇東征」を引き起こしたのです。
ミカシヤオ ツマトシテ ウマシマチウム
一度、ご養子となったけれど、筋が通らないということで、実家に帰られたお子さん。
アスカホノアカリさまは、この養子のいきさつを、内心すまないと思われたのでしょう、
そのことから、その子タクラマロにミカシヤを娶わせ、うまれたのがウマシマチなのでしょう。
ウマシマチは、おそらく、後に、ニギハヤヒさまの養子に入られたらしいので、もちろん
実子ではなかった・・・。
ナガスネはこの場面で、嘘をついているのです。
世継ぎフミとは、ウガヤさま(タケヒトキミの父君)にお世継ぎが生まれなかったために、
ウガヤさまの左大臣アメノコヤネとその子である、オシクモが、社を建てて祈ったところ、
お世継ぎが生まれ、その方法が書いてあるフミのことで、たいへん神聖なものとして
保管していたものです。(オシクモの子であるタネコはタケヒトキミの左大臣になりました。)
ナガスネはこのフミを見せてほしいと頼んだのですが断られ、保管してある倉を秘かに
開けて盗みうつしたのです。
ここで、比べていただきたいのが、ウガヤさま(タケヒトキミの父君)にお世継ぎが
ないため、アマノコヤネとオシクモが、社まで建てて、そこで、一生懸命に祈った
ことです。それは真剣に、何回もミソギをしてアメに祈ったことでしょう。
その昔、イサナギさまとイサナミさまが富士山で祈られ、そうしてお生れになったのが
アマテルさまでした。お祖父さまである、5代タカミムスビのトヨケさまも、出羽の山で
8千回も祈られています。このように、お世継ぎのご誕生を身近な方が真剣にアメに
祈り、祈りが通じてお世継ぎがお生まれになったのです。
そのことから考えると、ナガスネが世継ぎのフミを請うたことはいかがなものでしょうか?
手っ取り早くという感じがしますよね。断られて、秘かに盗み写すなんて・・。
結果、世の中が騒然としてきてしまったのです。
アスカヲキミは最初、イカルガに宮を建てたのですが、カラスが飛ぶのを見て
吉兆だとおっしゃって一晩で飛鳥に宮遷しました。この急な宮遷しに、アマノコヤネと
クシヒコが反対し、諫言を呈しましたが、ホノアカリさまの腹心の臣から相手にされず
宮遷しは決定されてしまいます。
クシヒコは決然と辞任し、アマノコヤネも同じく身を引きます。
この後、二人はアマテルカミの元に戻り、そばにおられたニニキネさまの、
左のトミ、右のトミとして、黄金のトライアングルが結ばれるのでした。
二ニキネさまは、実行力と人望、アマノコヤネは見識、クシヒコは決断力、お互い
足らざるところをカバーし合って政りごとをリードしていきました。
10代アマカミのニニキネさまの朝廷が、兄アスカヲキミの朝廷より大きくなっていかれた
のは、このお二人のトミの力が大きかったのですが、少し、複雑な思いがいたします。
さて、ホノアカリさまの左のトミは、先ほど書いた、5代タカミムスビのトヨケさまの孫に
あたるフトタマで、その孫、ナガスネが左のトミを継いでいるのですが、トヨケさまといえば、
たいへん偉大な方で伊勢神宮の外宮にお祭りされています。そのトヨケさまの系統に、
ナガスネのような人物がいることに驚いてしまいます。
こういう貴い血筋にも悪い人がいる、また、キミでも凡人のごとく間違いをなさるお方もいる。
とんでもない罪を犯しても悔い改め、その後人に尊ばれ慕われた方、悔い改めずに滅びた
方、等々。その全てが冷静に記されている。
それゆえに、ヲシテ文献は信じられるのです。
以上、引用させていただきました。
詳しくは、びーちぇさまの記事をお読みください。
ヲシテ文字が消されたわけ その1 物部氏
http://julian.way-nifty.com/woshite/2013/12/post-80ce.html

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