【鹿島立ち】 は、誤訳です!
漢字の当て字によって”わけがわからなく”された古代の偉人を
「ヲシテ文献」(ホツマツタヱ・ミカサフミ・フトマニ)だけが
正確に伝えてくれます。
びーちぇさまの「ヲシテのクニ」
「カトリ、カシマカミとお馬さんの話 (1) 古来の神社、そしてサルタヒコさま 改訂版」
「トヨケカミ」が伝えたもの・・・女性の役割 改訂版
より、一部転載させていただきます。
”記紀”でわからなくされた歴史の真実
鹿島神宮の御祭神
~「鹿島立ち」の真実と「常陸」の語源~
以下、全文転載
(前略)
さて、このように誤訳を上げればきりがないのですが、
前にも書きました、
「カシマカミ」のタケミカツチ・ヒサヒコさんもそう。
鹿島カミでは誤訳も良いとこです。
カシマは右のトミ、右大臣のことで、政ごとを実行に移す最高責任を担います。
現代では制度も内容も違いますけれど、首相にでも当たるのでしょうか。
アマテルカミの右の臣であったオホナムチさん。
しかし失政による、その右の臣の解任(俗に言う出雲国譲り)という
大きな事件がありました。
その時フツヌシさん(ヲハシリ)と、息子のヒサヒコ(タケミカツチ)さんは、
軍を預かって出陣なさいました。
そして軍勢にも「カシマタチ・右大臣解任」という名がつきました。
その時の大功績によりカシマタチのカミ「カシマカミ」の名を賜ったのです。
カシマカミ・ヒサヒコさんは、それ以前のハタレの乱の時も大活躍しました。
父譲りの騎乗しての弓矢のワザ、ツルギを持っての戦い、体術はことに優れ、
その豪勇はイカツチ(雷)をもひしぐという、当代随一の強者でした。
アマカミからその卓越した武術に「カナテ」
カナ(輝いている。また右の意もふくまれる)、
テ(手の意味と、方法とか術の意味を含む)
・・・この場合は武聖とでも意訳しちゃいましょうか?
別の使い方としてコトの「カナテ」というのもありますが、
これも琴の名手・達人といった意味を含んでいると思います。
今で言えば人間国宝級の褒め名を頂き「カフツ(ツ)ノツルギ」を賜い、
その時からヒサヒコさんは「タケミカツチ」と呼ばれるようになったのです。
(奥宮)
しかし、勇ましいことばかりではありません。
同時に心優しく、まことに深い思いやりの方で、
戦い征伐した敵をも憐れみ、
なんとかタマ(現代で言うタマシイ)だけでも救ってやりたいと、
大伯父「ツワモノヌシ」親子が心を合わせ実現した技法「タマカエシ」をもって、
祀リを斎うときにも父と共に参加し、
心こめて悪人達のタマの浄めを行ったのです。
この頃の重臣・リーダーたちは、このように、みな厚いミヤビの方々でした。
そのミヤビから出る「人はみな同じである」という信念は堅かったのです。
アモトからこの世に来るタマはみな同じです。
でも現世というところは、正しくあろうとしても、困難なこともある。
持って生れた性質もあり、環境もあり、教育もあり、運もあります。
自分たちは恵まれているからこそ、正しいことを貫けたのかも知れない。
その感謝・謙譲・思いやりの気持ちが、常にあったろうと思います。
運悪くねじけて行く人だっているだろう。
望まなくても、どうしようもなく罪を重ねる人もいるに違いない。
そして、罪を死で償ったからには、
その迷い、ケガレを払い浄めて、生まれたときの清らかなタマとなり、
心安らかに、アモトにお還りなさい。
そして、またこの世に帰って人となるときには、
ミヤビに満ちた楽しい人生を送れるように。
これが「タマカエシ」のノリ(法)なのです。
心をアメミオヤに通しつつ「ツワモノヌシ」の子、
「ココトムスヒ」がノト(神拝詞)を書きあげたのでした。
このココトムスヒは、前に書いたあの素敵な長身の「アマノコヤネ」さんのお父上です。
息栖神社(イキスと読みます)をご存知でしょうか?
時代は少し下りますが、
カシマカミの独り子、お名前も「ヒトリヒメ」というんですが、
時のアマカミの若き重臣アマノコヤネさんのお嫁さんになりました。
この方は実名はワカヒコですが、カスガマロ、アマノコヤネなどの尊称を賜り、
何代ものアマカミに左のトミとしてお仕えしたような偉大な人物で、
文・武で言うなら、文にすぐれたお方でした。
国の文化、教育、神学、医学、哲学。
トヨケカミ亡き後、このコヤネさんが精神的な跡継ぎとおなりになって、
歴代のアマカミを支えていらしたのではないでしょうか。
そのお二人のお住まいが、そのイキスノミヤ、今の息栖神社なのです。
お宮はなぜか西向きに建っていて、今でも不思議がられております。
ところが、ヲシテ文献には
中央のヲヲヤケの仕事で忙しいご夫君に、
いつもお顔を向けているように建てられたと記されています。
お顔を向けるというのは、心を向けるということですよね。
きっと、朝夕心をつないでご挨拶なさったり、お話なさっていたのだと思います。
離れていても、とっても睦まじいご夫婦仲だったようですね・・・
余談ですが、ヒトリヒメご妊娠の時のエピソードは、
お父様の「カシマカミ」がアマテルカミ拝領の羽二重を宝物殿からあわてて探し出し、
腹帯としたとか、(ヒタチオビ・ヰハタオビの始まり)
アマカミ(そして夫君アマノコヤネでしょ、きっと)のご配慮で侍医として
差し向けられた産科学の大家「コモリカミ」から、妊娠中の過ごし方の講議を受けたり、
お産が近くなると当代一の産科医の「カツテカミ」がいらっしゃたりと、
そりゃあもう大変な行き届き方でした。
このコモリカミは、実はご夫君コヤネさんから産科学を習ったんですけどね。
「私ごときからお聞きになるよりも、ご夫君コヤネさまにお聞きになっては・・・」
「いえ、だれでも身内のこととなると冷静になれませんので、
ぜひ、コモリさまからお習いしたいのです」
などという、やりとりもあったらしく、
これも、いつの時代にも変わらないことですね・・・(^。^)
これも元はと言えば「トヨケカミ」が教えられたこと。
トヨケカミ→アマテルカミ→アマノコヤネ→コモリカミ
こんな順序になるのではないでしょうか。
このお講義などは、現代でも深く感動するような科学的な見事なものです。
妊娠初期からの母体の状態から、体内での子の発育過程から、
つわりの説明や過ごし方から。
3千年も前によくここまで分かってたなあと思います。
かえって、漢字時代からは非科学的になってますね・・・
病気だって薬はあったにせよ、お祓いするとか、ご祈祷するとかばっかり。
大陸から漢字と共にやって来た儒教、仏教、特に密教の影響があります。
そして、ヲシテ文献は消されてしまった・・・
古来の文化においては、科学的知識だけでなく、
特に素晴らしいと思うのが、
命に対する敬意といいましょうか。
アメミオヤ(宇宙原理)から別れてくるタマを受け、
その尊いタマがお腹のコダネに宿るのが妊娠5ヶ月頃、そして人となる。
それに対する両親の役割はこうである・・・とか、
その命をどのような心遣いで日夜守るか、育むかということです。
本当に生命の哲学というべき素晴らしいことが書いてあります。
私が、大好きな文章があります。
それは
お腹に巻くオビの長さは、夫の身長と同じ長さにしなくてはならない。
で、コヤネさんが居ないのでヒメに聞くと、
ヒメハ コヤネノ タケシルヤ
シレリ ヒトタケ フタヰキゾ
言下に答えられたところ、皆は
「おお、それはかねて聞くアマテルキミと同じ背の高さではありませんか」
と喜び合ったのです。
するとヒメも微笑んで、
「私の身に、なんと畏れ多くも有り難いことか」と、
嬉しそうにおっしゃいました。
なんとも初々しく可愛いなあ・・・目に見えるようですね。
アマテルさまはたいそう長身の男性で、カッコ良かったそうです☆
そして夫君の背の高さに整えた羽二重のオビをまいたら、
イキスが整い、体も心も安定してきたと書いてありました。
ハラオビ ナセハ ミノ イキス
ヒタチト ナリテ
イは心のこと、イキはもちろん息です。
そしてスとは調和のとれた動きのこと。
心身共に調和が取れて健やかな状態となったのですね。
「産後の肥立ちも良く」のヒタチはここからきています。
大言海によれば
「日ごとに良くなる、回復する」とありました。
でも、なぜそうなるのかは、大言海でもわからず、
ただ、ヲシテだけが教えてくれるのです。
ヒ・・・新しい生命エネルギーが現れる。
タ・・・それを受けてひとつにまとめ合わせ、下へもたらす。
チ・・・それが日々に繰り返される。
うーん、納得。
だから「日ごとに良くなる」意味になるんですねえ☆
やっぱり本当の語源はヲシテ 原字でしか判りません。
このエピソードはまさしく、素晴らしい知恵。
愛する背の君が、離れていてもいつも守ってくださるという・・・
女性なら皆そんな気持ちになることでしょう。
いいなあ☆
このオビは産科学をまとめた、トヨケさんがアメよりの直観を受けて
考案したものです。
やっと妊娠した、今で言う皇后様になられた愛娘、イサナミのお腹の御子を守り、
母子共に健やかに保つために作られたのが最初です。
宇宙の5元素(素粒子やエネルギー)を時に応じ体内に導くという役目もあり、
そのエネルギーを働くように、心を込めて織ったらしいです。
そして、アメからのお告げの象徴ニトリ(鳳凰かな?)の羽根の色
の紅も、使ったらしい・・・
今で言えば強力なヒーリンググッズのようなものでもありました。
そしてお生まれになったのが、日嗣の皇子「アマテル」さんでした。
イキス・・・宇宙のイキが動き、そして現れた日(太陽)の皇子。
この故に
「イキスの教えを受けたこのミヤをイキスノミヤと呼ぼう。
そして若い二人に住んで頂き、私は別のところに移るつもりだ」
カシマカミは嬉しそうに皆に告げたのでした。
それを聞いた部下のモノノベ達も喜んで、そう遠くない処にヒタチミヤを作り、
お移りになったそのミヤこそ、後のカシマミヤ(鹿島神宮)となりました。
そう、後世、漢字時代になってもそのコトハは残り、
国の名も「ヒタチ」となったのです。
まあ、残念ながら「常陸」と書きますが・・・誤訳じゃあ
なんともほほ笑ましいのは、
ヒトリヒメのお祖父さま「カトリカミ」と父上のこの「カシマカミ」も、
それぞれのミヤでヒタチオビを配り、広めたそうな・・・。(^o^)
でもね、ただの親馬鹿ではないんです。
命を生み出す女性を「どんなに大事に考えておられたか」なのです。
そこに、私情だけではなく、良いことは皆に伝えようという熱意が感じられます。
お二人とも武勇の誉れ高く、雄々しい逞しい男性であられました。
しかし、この限りないミヤビのお心は、なんとも素晴らしいことです。
うーん。
こんなこともヲシテ文献じゃないと分からないよなあ☆
以上、びーちぇさまの「ヲシテのクニ」より転載させていただきました。
カトリ、カシマカミとお馬さんの話 (1) 古来の神社、そしてサルタヒコさま 改訂版
http://julian.way-nifty.com/woshite/2009/12/post-59cd.html
伝統 その2 「古代における女性の尊さ・皇位継承」 改訂版
http://julian.way-nifty.com/woshite/2009/08/post-49ea.html?cid=38626909